図工が得意だった小学校時代
「ちょっと変わった子どもでした」と太田さんは幼少期を振り返る。小学校のテストではすべて記入し終えると、答案用紙の裏面に絵を描いているような図工好き。小学校1年生のときに版画で銀賞を獲得したこともある。しかし、活発な面もあり、小学2年から高校1年生まではボーイスカウトに入団していたほか、プロレス好きでスタン・ハンセンのファンだった。その一方、ご本人曰く人付き合いは得意ではなかったとか。
「小学3、4年生ごろまでは人見知りが激しくて、人前に出るのが嫌いでした。でも、『このままではいけない!』と、小学5年生のときに一念発起して学級委員に立候補したんです。選挙には女子に人気の同級生がもう一人、出馬。クラスの男子は僕に投票してくれましたが、女子の票がライバルに流れ、結局、僕は副学級委員に。当時は背が低かったし、ぽっちゃりしていましたから、モテるタイプと真逆でしたね(笑)」。
小学3年生で早くもランドセルと決別
太田さんのファッションへの芽生えは、一般的な男性よりもかなり早かった。いとこのお下がりでVANのランチコートを小学校時代から着ていたほか、小学校3年生でランドセルを卒業したそうだ。周囲がフカフカで光沢が強い合成皮革のランドセルを背負っているなか、太田さんのそれはリアルレザー。当然、上質なものを背負っているのだが「しわしわで、ぺったんこなのがイヤだったんです」と太田さん。代わりに持ち始めたのは海外に行き来しながら仕事をしていた叔母さんからもらったというパンナム(※)のバッグだった。
※パンアメリカン航空の通称。アメリカを代表する航空会社であったが、1990年代に破産した。当時、ロゴマークは非常によく知られていた。太っている子はアイビーが似合う!?

中学に入った太田さんは剣道部に所属した。3年間の間に急激に痩せて身長も伸びた。部活の一方、ファッションへの熱意は増していく。そのきっかけは中学生向け雑誌『中1コース』で見つけた『太っている子はアイビーが似合う』との記述。また、お母さんやお姉さんがオシャレ好きであったり、仕事で海外渡航を頻繁にする親族がいたりと、太田さんがファッションに興味を持つ土壌は揃っていた。
「当時、『ファイン』や『JJ』といった雑誌を読んでいる6歳年上の姉をカッコいいなと思っていました。はじめのうちは姉の選んだサテンジャンパーにコーデュロイのジーンズ、アディダスのスニーカーなど、丘サーファーみたいな恰好をさせられていたわけですが、『アイビーってなに!?』と姉に質問をしまして」。