イタリア空軍95周年記念の展示会へ【松山 猛の道楽道 #009】

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松山 猛の道楽道(どうらくどう)

復活祭の日曜日の午後、フィレンツェ市の上空をイタリア空軍のアクロバットチーム”フィレンツェ・トリコローレ”のジェット編隊が轟音と共に飛行し、赤、白、緑の雲をフィレンツェの空に描いた。

翌日バスに乗るのに、サンマルコ広場に向かって歩いていたら、ダヴィンチ博物館の近くの建物で、空軍95周年の展示イヴェントが開催されていたので覗いてみた。

実は僕、小学生の頃には飛行機大好き少年だったので、飛行機に関するこうした展示は、とても楽しくてならない。
イタリア空軍は連合軍の空軍や枢軸国のドイツ、日本に比べるとマイナーな存在だという印象があるが、今年が95周年というから、飛行船の時代から創設された、古い歴史を持っているのだ。

フォトギャラリー(写真4枚)

スタジオ・ジブリのアニメーションの名作『紅の豚』のポルコ・ロッソの乗機も、そんなイタリアが生んだ水上機をモデルにしたもので、第二次世界大戦以前のイタリアの航空機製造技術は、世界の最先端にして最高の技術を誇っていたのだという。

アフリカ戦線用に、砂漠カモフラージュ塗装をされたマッキ戦闘機の模型や、昔のパイロットの飛行服、そして歴史を証明する数々の写真などが展示されていて圧巻だった。第二次大戦中は自動車会社のフィアットも、高性能な戦闘機を作っていたが、圧倒的戦闘力を誇る連合軍の前に屈してしまったのだった。

そういえば昔、MEN’S EX本誌の取材で、イタリアの詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオの大邸宅を訪ねた時にも、その邸宅の居間にイタリアの戦闘機のプロペラが飾ってあった。この人物は愛国的な所があり、第一次世界大戦の足音が聞こえ始めた時代に、自費で飛行機を手に入れ、オーストリア上空に飛び、イタリア万歳と印刷したビラをウイーン上空からばらまいたり、当時イタリア人が数多く入植していた土地、現クロアチア領のフィウメを、義勇兵を募り占領したりと、なかなか過激な事をした人物だった。

彼の戯曲『サン・セバスチャンの殉教』を翻訳した三島由紀夫は、相当ダヌンツィオから影響を受けたのではないかと僕は思っている。ダヌンツィオの邸宅ヴィットリアーレには、その飛行機のほか、なんと巡洋艦までコレクションされているのが驚異的だったのを思い出した。

松山 猛 Takeshi Matsuyama

1946年京都生まれ。作家、作詞家、編集者。MEN’S EX本誌創刊以前の1980年代からスイス機械式時計のもの作りに注目し、取材、評論を続ける。

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