【中井貴一の好貴心】滋賀・近江八幡で街づくりの真髄を見た/前編

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前回の好貴心から、随分と時間がたってしまいました。
そうなんです、忘れた頃にやってくるのが、この好貴心。
今回は、前回の掲載から現在に至る間に御縁の生まれた方々や思いについてお届けしたいと思っております。
さて、皆さん。滋賀県といって真っ先に思い出すのは……?
やはり、琵琶湖でしょうか。近畿圏の水瓶、日本一の湖をもつ県なのですが、イマイチ、その魅力が知られていないように思うのは、私だけでしょうか?
時代劇の撮影でも、ちょくちょくお世話になる、掛け替えのない地。
そのじわっと味わい深い魅力を、地元に根付きながら継承、発展させていく人たちに会うために、いざ滋賀は近江八幡へ!

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文明を発達させ、効率を重視する社会にあってここには”無駄”を楽しむ経営がある。

滋賀県近江八幡市で145年以上にわたり菓子業を営んできた老舗、たねや。そのたねやグループが2015年に地元にオープンさせたのが「ラ コリーナ近江八幡」だ。「ラコリーナ」とはイタリア語で丘の意で、命名はイタリアの建築家ミケーレ・デ・ルッキ氏。設計は、古今和洋の設計に通じた建築家、藤森照信氏が手掛けた。中井さんの後ろに見えるメインショップは、屋根一面が芝に覆われ、周辺の自然環境に溶け込むように考えられている。

父も出演した第一回大河ドラマの縁の地で出会った”自然再生空間”

 両親が京都出身ということで、行き来は少なかったものの、滋賀県大津にも遠戚があり、「滋賀」という名には、幼い頃から馴染みはあった。小学校の頃、母の里帰り(すでに、実家はなかったので、ある意味京都旅行)のついでに、滋賀県まで足を延ばし、のどかな日本の原風景の中に佇む古?い宿に宿泊。現在のように、高い建物は少なく、ホテルも数少ない頃。そこで、人生初の五右衛門風呂に入った経験がある。現在のように、あるアトラクション的な五右衛門風呂ではなく、宿のご家族も使用している日常のお風呂。絶対に、風呂釜に触るべからず! と、きつく注意を受けてからの入浴。外で薪を燃やし、板の上でバランスをとる。慣れない私どもは、入浴がこれほど危険で大変なものかと、思い知らされたもの。小学校の低学年であった私の滋賀は、=五右衛門風呂。馴染みがあるといっても、当時の、私の思い出はそんなもの……。

 時がたち、高校3年のとき、テニスで高校総体に出場した際の開催地が、滋賀県の彦根であった。当時は、新幹線に乗ることもイベント。東京駅で送り出しを受け、いざ、彦根へ。それぞれの高校に宿があてがわれるのだが、その宿の名は「なかよし」。彦根駅から顧問の先生、監督とともに宿へ。しかし、どのタクシーの運転手さんに聞いても、その宿を知る人がなく、近所と思われる場所で下車し、出会う人出会う人に聞きながらの宿探し。結局、駅から1〜2時間かかって宿に到着。今のように、携帯電話も、ナビもなく、なんとも不便な時代だったが、40年近くたっても、そのときの思い出が鮮明に蘇るのは、手書きの地図を片手に、必死で街を歩き回った苦労がそうさせるのであろう(アナログは、思い出作りのためには、最高のアイテムだったのかもしれない)。下手をすれば、高校総体自体の思い出よりも、宿探しの思い出が勝っているといっても過言ではない。

 会場は、彦根城のほど近く。練習日、宿への帰り道、「花の生涯」と書いてある碑を見つける。どこかで耳にしたことがある言葉だなーなどと思いながら、試合のこともあり、当時は単に横を通り過ぎただけだった。この『花の生涯』は近江彦根藩15代藩主井伊直弼の生涯を描いた歴史小説、第一回NHK大河ドラマでもある。この作品に、父が出演していたことを、直後に知ることとなるのである。

 その後、俳優となり、京都で仕事をする機会が増えると共に、この地がより身近な地となる。滋賀県と一言で言っても、広大で、私の知る滋賀もほんの一部に過ぎない。彦根、大津、そして、時代劇の撮影で、最もお世話になっている近江八幡。その景色をちらりと見れば、時代劇好きの方なら分かって頂けるであろう。えっ、オープンセットじゃなかったの?と思われる方も、いらっしゃるかもしれないほどに整備され、往時の姿をきちんと残している。

2024

VOL.341

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