男・村田修一「プロ野球”現役”から、人生のネクストステージへ進む男の話とスーツ」

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スーツを着たその男は撮影の間ずっと笑顔を絶やさなかった。肩の荷が下りたからと本人は言うが、そこからは全力でやりきった男の清々しささえ感じられた。”現役”のユニフォームを脱いだ男・村田修一に、次なるステージの抱負を訊いた。

村田修一

「もがいている若手たちを間近でサポートしたい気持ちが芽生えています」

村田修一

むらた・しゅういち

Profile
1980年福岡生まれ。2003年に横浜ベイスターズ入団。’12年読売ジャイアンツ移籍。’18年BCリーグ栃木に入団し、同年現役引退。NPBでは2度の本塁打王ほか数々の輝かしい成績を収めた。

スーツ69万円、シャツ6万1000円、タイ2万8000円、チーフ1万8000円/以上ブリオーニ(ブリオーニ ジャパン)

「すべてが必要な経験だった」

10月中旬、都内。ホームランを打っても表情を変えずに淡々とダイヤモンドを一周し、ガッツポーズも大げさにしない。そんなグラウンドの印象と裏腹、村田修一さんはじつに気さくな人柄だった。「敵チームのファンからは太々しいと思われていたかもしれませんが(笑)、グラウンドで無表情でいたのは学生時代にそう教えられたからなんです。中心選手のお前が喜怒哀楽を出すと、周りの選手が引きずられるからと。あと、プロ入りしてメディアから村田の前に”男”をつけて呼ばれるようになり、若干そのイメージを守っていたところも(笑)。引退して肩の荷が下りた今は、自然に素の自分が出せるようになりました」

ご存じの通り、村田さんは2017年オフに読売ジャイアンツを自由契約となり、’18年はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレイしながら、NPBへの復帰を目指した。だが残念ながら叶わず引退を決意。引退セレモニーで「後悔はない」と語った言葉が印象に残る。

「あれは本音です。栃木ではもちろんNPBへの復帰を目指して頑張っていました。でもある日、自分のホームランより、一緒に頑張ってる若手のホームランに喜んでいる自分がいた。NPBに戻ることができたら嬉しいけれど、彼らがドラフトにかかり、プロで活躍する姿もぜひ見てみたいと心境が変化していたんです。

それに気付いたとき、期限まで12球団からオファーがこなかったらすっぱりやめようと腹をくくった。決断は息子たちのためでもありました。僕がだらだら現役に固執していたら教育によくない。それより決断するときは決断し、前に進む姿を見せないと。息子たちも人生の中でいつかそんな場に置かれるはずですから」

今後の村田さんはおそらく現役時代以上にスーツを着る機会も増えるはず。それについてどのように感じているのか。「スーツは嫌いじゃありません。じつはプロ野球選手は移動時にスーツを着るのが決まり。”これから遠征に行くぞ”と気分が高まるので、僕は好きでした」

春は桜色のタイ、夏は涼しげなブルーのタイと、着こなしにもこだわりを持っていたようだ。ちなみに引退セレモニーのときも、舞台を用意してくれた2球団とファンに対する感謝の意を込め、タイを読売ジャイアンツのオレンジ、スーツを横浜ベイスターズのネイビーとした。

「けっこうそういうことを考えるのが好きなんです。派手なスーツを着ると怒られる球団にいたので(笑)、着こなしで個性を出したいと考えるようになったのかも。これからは今日着たような柄の効いたスーツにも挑戦したいですね」

最後に今後の抱負をうかがった。
「自分の意志だけでは叶わないことですが、やはり野球と関わり続けたい。とくに若手の育成に関わり、僕の経験を伝えたいという気持ちが強くなっています。そうして野球と関わっていく中で、最終的に栃木の1年間が本当にいい1年だったと思えるようになりたい。あんなにピュアに野球に取り組み、自分を見つめ直した時期はありませんから」




「男・村田修一」から「スーツな親父 村田修一」へ。

村田修一

チャンス時のホームラン、ポーカーフェイスでダイヤモンドを一周する姿に、いつしか「男・」という名を背負うように。チームが変わってもその”らしさ”は変わらなかった。



※表示価格は税抜き
[MEN’S EX 2018年11月号の記事を再構成](スタッフクレジットは本誌に記載)

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