日本のメンズ服を長年見てきた赤峰幸生さんが語る「クラフツマンシップ」とは?

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それは、日常に寄り添うラグジュアリー
美しきクラフツマンシップ。

美しきクラフツマンシップ。バナー

talks about “Mingei”
Yukio AKAMINE

クラフツマンシップとは、美しき歴史を伝える語り部だ

クラフツマンシップと横文字で書くと、なんだかファッショナブルに聞こえてしまいますね。しかし私が考えるに、すなわちそれは“心”であり“魂”だと思います。大量生産されたものは、いうなれば“心ここにあらず”の状態。人の手で、じっくり時間をかけて、伝統の作り方でこしらえたものには魂が宿る。それは服飾品だけでなく、衣食住のあらゆるものごとにあてはまります。私がそう考えるきっかけのひとつになったのが、民藝との出会いでした。

私が桑沢デザイン研究所の学生だったころ、学長の桑澤洋子先生から「日本民藝館へ行きなさい」との教えを受けました。ご存じのとおり、そこには柳 宗悦ら民藝運動の主唱者たちが蒐集した焼き物、織物、木工品などが美しく陳列されているわけです。その佇まいに心を打たれ、また民藝運動の背景やその思想を学ぶにつけ、“真の充足とはなんだろうか”ということに思いを馳せるようになりました。当時は1960年代。まさにアメリカの大量消費文化が日本に押し寄せた時代でした。確かにモノは簡単に手に入るようになった。しかし、それだけでいいのか。我々日本人が歴史のなかで育んできた“心ある品々”に触れながら暮らすことこそ幸福なのではないか。そして我々の周りにはまだ、地味だけれど作り手の魂を宿した鍋や皿、竹籠といった道具がたくさんあるではないか。そんなことを考えるうちに、民藝は私にとって心の支えとなっていったのです。

洋服の世界で生きると決めたとき、私は“民藝のような服作りをしたい”と志しました。民藝品とは、その土地の風土から生まれたものであり、また本来無名のものである。そうした思想を服で表すなら、その“素材”である生地から作りこまねばならない。そう考えて、私は尾州や遠州といった日本伝統の織物産地を訪ね、糸1本にまで“日本人の心”を宿すオリジナル生地作りを何十年と続けています。機屋さんたちは皆、世界に誇る腕を持ちながら、世間にはほとんど名を知られていません。特注生地を作ってもキャッチーさなど皆無なわけですが、無名のものづくりに最大限の敬意を払うこともまた、私が志す民藝的服作りにとって欠かせないことなのです。

嬉しいことに、近頃私のもとを、驚くほど多くの若者たちが訪ねてくれます。彼らにまずアドバイスするのは、「一度、自然に帰ってみなさい」ということ。高層ビルから見下ろすビルの明かりよりも、地べたに座って見上げる星の光のほうがどれだけ美しいか。二十四節気・七十二候の移り変わりを肌で感じることが、いかに感性を研ぎ澄ませてくれるか。それを再認識したら、次は「日本の歴史を勉強しなさい」。そして「海外でアルバイトでもしてみなさい」と伝えます。世界には千差万別の文化があり、それぞれに歴史と美学が息づいている。柳たちが日本各地を巡って優れた“民藝”を見出したように、日本人の眼と心をもって、世界各国に根づいた歴史と文化の美しさを発見してほしいのです。

クラフツマンシップは“心”であると同時に、その品物が生まれた土地の歴史を伝える語り部でもある。現代を生きる私たちに、父母や祖父母が見てきた暮らしの情景を想像させてくれるものなのです。かつての日本人は土鍋で炊いたご飯の美味しさを知っていたし、それ自体は地味にも映る器が料理をどれほど魅力的に彩るかもわかっていた。そういう本質的な豊かさを、民藝のクラフツマンシップは教えてくれるのです。そこから広がって、現代人が忘れかけている“美しい暮らし”がどういうものであるかも気づかせてくれる。正月のおせちをネットでポチっとやるのは違うんじゃないかとか、やっぱり食事をするならビルの上じゃなくて、文字どおり地に足のついた路面の店だろうとか。服装にしても、トレンドやインフルエンサーを追いかけるより、朝一番に窓を開けて見えた空や草木の色に合わせたほうが洒落てるだろうとかね。今回は民藝についてお話ししましたが、世界各地のクラフツマンシップは皆、生まれた土地の美しき歴史を静かに語りかけてきます。皆様もその声に耳を傾けてみてください。(談・赤峰幸生)

日本民藝館には何百回と訪れ、出張などで各地を訪れる際には当地の民藝品を求めるという赤峰氏。神奈川県梶が谷に構えるオフィス「めだか荘」にも、多くの民藝品が並んでいる。写真はその一部で、滋賀の信楽焼、栃木の益子焼、愛媛の砥部焼、愛知の常滑焼。ちなみに竹の蹴鞠は大分県で作られたものだ。赤峰氏は益子焼が特にお気に入りだそうで、折に触れて同地を訪問しているとか。

赤峰幸生
1944年生まれ。’70年代から現在に至るまで服飾業界の第一線を歩み続け、現在は自身のブランド「Akamine Royal Line」を軸に多方面で活躍。昨年ビジュアルブック「赤峰幸生の暮しっく」を刊行。




[MEN’S EX Spring 2023の記事を再構成]

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