ビームスのクリエイティブディレクター、中村達也さんが所有する貴重なお宝服の中から、ウンチク満載なアイテムを紹介する人気連載「中村アーカイブ」。「ベーシックな服もアップデートされていくので、何十年も着続けられる服は意外と少ない」という中村さんだが、自身のファッション史の中で思い出深く、捨てられずに保管してあるアイテムも結構あるのだとか。そんなお宝服の第41弾は……?
【中村アーカイブ】 vol.41 / ジョンスメドレーのニットポロ
1986年に購入しました。私とジョンスメドレーのニットポロの出会いは高校2年生だった1980年。叔父が新潟で営んでいたメンズショップで売られていたAVON HOUSEネームのネイビーとワインのボーダーのジョンスメドレーでした。
当時ジョンスメドレーは高価で、高校生が自腹で買えるようなものではありませんでしたが、叔父の店の顧客の方が洗濯機で普通に洗ってしまい、小さな穴が開いてクレームで返品になったものを譲りうけました。
当時はプレッピーブームだったのでボーダーのポロはトレンドアイテムでしたが、イングランドカラーのニットポロはアメリカというよりは英国風なのでアイビー好きの高校生が着るにはハードルが高いアイテムでした。
結局パンツも叔父からもらったAVON HOUSEの2プリーツで太めのラインのオックスフォードバッグス(1920年代にオックスフォード大学の学生たちが穿いていた太いパンツ)を穿いて合わせていたので、今思えば17歳の少年にとってはかなり無理があるコーディネートでした(苦笑)。
ちなみに、そのAVON HOUSEネームのボーダーのジョンスメドレーは、SHIPSのメンズクリエイティブアドバイザーの鈴木春生さんがAVON HOUSE在籍時に色出しをして別注したもので、以前お会いした時にその話でかなり盛り上がったというエピソードがあります。
そして、その後再びジョンスメドレーのポロに出会うのはBEAMSに入社して2年目の1986年。当時テーラードにポロを合わせるのがちょっとしたブームとなり、ドレス系のアイテムに合う上質で上品なポロが注目されました。
当時はアルマーニに代表されるイタリアンデザイナーの服が人気だったので、イタリアブランドのニットポロもたくさんありましたが、デザイナーの服に伝統的なアイテムを合わせるミックステイストが当時からBEAMS流だったこともあり、このジョンスメドレーのイングランドカラーのニットポロがスタッフや顧客様のあいだで大人気となります。
その後フレンチカラーのラコステ、イングランドカラーのジョンスメドレーとファッション誌でも度々紹介されるようになり、一般的にも広く知られるようになります。
ジョンスメドレーのニットポロは35年前ですでに1万円以上の値段がつけられていました。当時としてはかなり高価なポロであったので、なんとか1万円以下で販売したいという思いもあり、ジョンスメドレー社からダイレクトに輸入しインターナショナルギャラリーのオリジナルネームを付けて1万円を切る値段で販売していました。
いま思えば、多くのお客様に上質なアイテムを着ていただきたいという思いからくる企業努力であったように思います。
入社2年目の私もBEAMSのスタッフとしてマストアイテムだったこのポロを頑張って購入しました。当時はBEAMS Fやインターナショナルギャラリーのオリジナルのジャケットやスーツに合わせ、第一ボタンまですべて閉めて着るのがトレンドだったので、私もそのようにして着ていました。最近またそのような着方が流行ってきているので’80年代のリバイバルと感じています。
’90年代に入り私がバイヤーとなると、ジョンスメドレーはBEAMS Fの扱いとなり私がバイイングすることになります。その後フランスの某ラグジュアリーブランドで展開していた台襟付きのポロが気になり色々調べてみると過去にジョンスメドレーが作っていたことを知り、そのモデルを定番として展開するようになりました。それが現在もBEAMS Fで展開しているKIERANというモデルの元となったモデルでした。
現在も35年前に展開していたイングランドカラーのモデル(ISIS)はインターナショナルギャラリーで展開しています。
ジョンスメドレーは私が入社してから35年間一度も途絶えることなくバイイングし続けている数少ないブランドで、そのブランドの代表的なモデルを今も展開していることを考えると非常に感慨深いものがあります。
今も同じモデルを買うことができますが、この黄ばんでしまいネームもボロボロになったジョンスメドレーは、BEAMSの歴史を物語るアーカイブとして保管していこうと思います。