スマルトでの仕事はいかがでしたか?
「アトリエに入ってみると、職人の国籍はアルジェリア、ポルトガル、スペイン、イタリア、アジアからはベトナム、ラオスなど多種多様。みな自分の腕が一番だと信じ、いつかはカッターになりたいと思っているなか、アジア人の若造の私が入ってきたので、面白く思われませんでしたね。アラブ系の職人たちは仕事ができると分かると徐々に認めてくれました。しかし、フランス人、ポルトガル人、イタリア人といったラテン系の白人とは常に衝突していたのです」。
「この国には『一度服従したら終わり』という暗黙のルールがあるので、絶対に相手に屈しないようにしていました。毎朝の握手の挨拶も無視され、時には『出ていけよ! お前の(カッターの)場所は俺が取ってやる!』と言いながら中指を立てられることも多々あり、頭が沸騰して血がたぎるくらいの喧嘩になることもありました」。
精神的にハードな職場ですね
「彼らはディスカッションに強い人たちなんですね。どんなに喧嘩していても、どのように話したら相手をロジカルに納得させられるかを考えながら喧嘩をする。また周りに自分の屁理屈が、いかに正しいかを見せながら喧嘩をする。単純にカンカンになっていてはいけないんだと学んだのもこのころです。私は『俺よりいい型紙を作れるのならやってみろ! そうしたら、いつでも場所を譲ってやるよ!』とパターン用紙と長さ30cmもある裁断ハサミをテーブルに叩きつけましたね。そうなると、技術力では私にかなわないと分かっているのでしょう。結局『ちっ』となり、彼らは何も言えなくなるのです。スマルトではそんな日が5年続き、心身ともにハードでした」。
【鈴木さんのお写真拝見】(写真15枚)
写真を愛好する鈴木さんの腕前をぜひご紹介したい。鈴木さんが撮影したプライベート画像をご覧あれ。
その後、独立なさるわけですね
「特にベルギー人上司からのイジメはひどく、日々エスカレート。早く独立しないと本当に病気になるとずっと考えていました。でも、独立してもお客様はいないし、半永住ビザ(10年間有効)を取得できないとフランスでビジネスはできない。独立するにはどうすればいいのか? 日々、真剣に考えていましたね」。
「ある年の夏、意を決して東京のセレクトショップのバイヤーさんに自分の作品を見てもらおうと考えました。20社ほどアポイントを取り、作品を持って回りました。ただ反応は良くなかったですね。当時、パリのテーラーについては全然情報がなく、皆さんピンと来ない様子でした。フランスと言えば、エルメス、ディオール、シャネルといった婦人服のイメージだったのでしょう。夏の暑いなか、ショップ回りを終えた後、付き添ってくれた妻から『私達は必要とされていないし、もうやめようよ』と言われました。確かにもうやっても仕方ないかなと考えるほどの結果でしたが、改めて考え直してみたら、まず自分のプレゼンが下手だったのだと気付きます。そしてあまりにも日本でフレンチテーラーリングが認知されていなかったのだと理解しました」。