成熟した男性を目指すならそれ相応の装い術や嗜みの作法を身につけておきたいものだ。古今の映画に精通する綿谷画伯が印象に残った、映画のワンシーンから切り取りそれらを解説する。
今月のお題 恋焦がれたニューヨークスタイル
絵と文・綿谷 寛
フェイスブックもツイッターも、あれほど避けてきたのに最近インスタグラムを始めた。その理由は、イベント等の告知はSNSが手っ取り早く、また効果が期待できるからだ。で、実際にやってみるとこれが結構楽しく、読者のインスタ友も増えた。ただわかってはいたことだが、マメに投稿すると編集者にサボっていると思われること。でも、忙しいときほど投稿したくなるもんだね。→@watatanigahaku
’78年。もう一つのアニー・ホール物語
イラストレーター生活40年の今年。初の作品集を刊行することができたし、久しぶりに個展を開くこともできた。さらには、第16回「グッドエイジャー賞」(日本メンズファッション協会主催)受賞なんて名誉なオマケまで(!)。別に大したことはしてないんだけど、コツコツひとつのことをやり続けるといいこともあるものだ。
イラストレーターとして誌面でデビューしたのは1979年だけど、初めて出版社に作品を持って売り込みに行ったのはその前年の’78年。その頃のことは今もよく覚えているよ。
当時、ニューヨークファッションが注目の的で、ラルフ ローレン、アレキサンダー・ジュリアン、ジェフリー・バンクスなど、新進気鋭のニューヨークデザイナーが続々と日本に上陸したものだ。その中でも特に、映画『華麗なるギャツビー』のコスチュームで既に日本でも話題になっていたラルフ ローレンは別格で、そのラルフがコスチュームで協力したという映画『アニー・ホール』(日本公開’78年)は公開前からファッション誌を賑わせ、公開後すぐにオレも映画館に駆けつけたよ。
主演・監督のウディ・アレンは、これぞラルフ ローレン! といったシャープなワイドラペルにウエストを絞り込んだニューヨークトラッドなツイードジャケットにチェックのシャツ。下はウォッチポケット付きのツータックチノのワイドパンツにオックスフォードのワークシューズを中心に、時々パンツをデニムに穿きかえるという着こなし。なんでもウディ・アレンとラルフ・ローレンは親交ががあり、背格好もほぼ同じことから、ラルフはウディに対して「ボクのクローゼットから好きな服を持っていっていいよ」と貸し出したとか。嘘か真か、当時そんな記事を読んだ記憶がある。
一方、相手役のダイアン・キートンは持ち前のファッションセンスで、登場する衣装の半分は自前、半分はラルフ・ローレンから借りて、男物を上手に取り入れた”アニー・ホール ルック”と後に呼ばれる見事なマニッシュルックを作り上げた。
なんて、今はこうしてわかったようなことを書いているけど、当時はまだ感受性豊かな20歳の小僧。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』を観ればブルース・リーになった気分でヌンチャクを振り回したし、『アニー・ホール』を観たあとは、気分はウディ・アレンですよ? でも20歳のイラストレーター志望の画学生にはラルフ ローレンは高嶺の花(今よりも高価なイメージ)。それで、ラルフもどきのワイドラペルのツイードジャケットをセールで手に入れ、開業したばかりの銀座のシップスで購入したトムソンのウォッチポケット付きのチノパンを穿いて、ウディ・アレンを気取ってたっけ。