一芸に秀でた、知る人ぞ知る名宿をピックアップする当連載。今回の舞台は長野。機械化やマニュアル化といったものとは真逆ともいえる、もてなし。心尽くしを極めて一芸とした名旅館である。
館主の心尽くし【長野県・松本市|市美ヶ原温泉 旅館 すぎもと】
「おもてなし」の真髄に目覚めさせてくれる宿
昨今、機械化やマニュアル化など、効率重視に取り組む宿が増える中で、その真逆をゆき、旅慣れた大人を虜にする宿が、長野県松本市の奥座敷、美ヶ原温泉にある。「旅館 すぎもと」だ。信州松本の歴史や文化を象徴するかのように土壁で覆われた館内には民芸家具が数多く設えられ、訪れる者の郷愁を誘うが、それはこの宿の魅力の一端に過ぎない。ここでは館主自身が毎日のように市場に出向き、己の目利きで食材を仕入れる。酒も、自信をもって勧められる銘柄を扱う。さらには、自らの手で蕎麦を打つ。丁寧に珈琲を煎れる。真空管アンプを使って美しいジャズの音色を鳴らす。ときには客を近所の高台までクルマで連れ出して、北アルプスの雄大な景色に出会わせてくれたりする。そんな風に効率や生産性を度外視し、まっとうに、誠実にもてなしてくれる館主に魅了される人が後を絶たないのは、ロビーに置かれた雑記帳をめくれば一目瞭然。いい意味でまさに人たらしの宿である。