35年の歴史の中で様々なブランドや団体、アーティストなどとコラボを行ってきたG-SHOCKだが、セレクトショップと組んだのは、じつは1996年10月にユナイテッドアローズで販売された「AW-500UA」が初だった。あっという間に完売し、今なおファンの間で伝説として語り継がれるこのモデルの企画開発に携わった吉原 隆さんに、当時の思い出を語っていただいた。
1963年生まれ。'90年にユナイテッドアローズに入社。2000年までPR担当。現在はディストリクトユナイテッドアローズにてご本人曰く“番長”的役割を務める。
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M.E.:ユナイテッドアローズが最初にG-SHOCKの取り扱いを始めたのはいつ頃ですか?
吉原:MR-Gの初代モデルからのおつきあいですから、’96年の夏頃でしょうか。早い人の間でG-SHOCK人気はかなり盛り上がってきたけれど、まだ大爆発となるちょっと前といったタイミングですね。じつはカシオさんがそのMR-Gのサンプルを持って商談に来たとき、僕もその場に呼ばれたんです。
M.E.:当時吉原さんはプレスの立場でしたよね。
吉原:ええ。先輩のバイヤーから「吉原はG-SHOCKに詳しいから意見を聞かせてくれ」なんて言われて。で、「狙いはわかるし、売れると思いますが、このモデルには僕の好きなG-SHOCKらしさが全然ありません」なんてかなり辛辣なことをカシオのお歴々が居並ぶ中で言ってしまった(笑)。さらに生意気にも、個人的に感じているG-SHOCKの魅力を滔々と述べたりして。するとカシオの皆さんは僕のことを面白いと思ってくださったようで、以後ウチとカシオの関係が急速に深まる中で、僕の意見をいろいろ聞きにくるようになって……。そんな中で一緒にいろんなことができたら面白いよねという話が盛り上がり、まずはユナイテッドアローズ原宿本店の前に「W—ショック」というコーナーを開きました。

M.E.:覚えています。G-SHOCK以外のアイテムもセレクトしている実験的な店舗でしたよね。
吉原:ベルギーのデザイナーが手掛ける「W & LT」というブランドのアイテムや、データバンクなどのその他のカシオ製品も置いていました。ちなみにG-SHOCKはカシオの什器作りの巨匠に作っていただいた、G-SHOCKを模した巨大なディスプレイケースの中に陳列していました。
M.E.:ひと頃はG-SHOCKファンの聖地のようになっていましたよね。そしてついに’96年の10月に「AW-500」をベースにした伝説のコラボモデルを発売。これがセレクトショップ別注の1号モデルなんですよね。でもなぜ丸型のAW—500をベースに選んだんですか?
吉原:ウチのG-SHOCK好きが集まり、何度かミーティングを重ねる中で決定しました。角形の定番DW-5600でもよかったんですが、ユナイテッドアローズが出すにしては面白みにかけるという意見が多かったんです。その点AW—500はデザインが優れている割に、忘れられたモデルというか、ちょっとマイナーな存在でしたから。

M.E.:たしかに、こんなアナログ表示のイカしたG-SHOCKがあったんだと新鮮に映りました。また第1弾モデルではユナイテッドアローズのロゴを表に出さず、あえて裏蓋に刻印するというさりげなさもよかった。すごい反響だったんじゃないですか?
吉原:発売日に行列ができました。ネットのない時代ですから、皆さん口コミで発売日を知ったようですね。それまでセレクトショッブで何かを販売するときに行列ができることなんてありませんでしたから、我々スタッフのほうがびっくりしてしまいました。

G-SHOCK初のアナログ+デジタル文字盤モデルとして'89年にデビューした「AW-500」をベースに開発。ユナイテッドアローズのイメージカラーであるオレンジをボタンとロゴにアクセント的に配した。1996年10月発売。

コラボ第2弾は白スケルトンボディを採用。文字盤には第1弾にはなかったユナイテッドアローズのロゴが輝く。吉原さんはずっと箱にしまって保管していたようで、ケース&ベルトの経年変化は最小限にとどめられている。1998年2月発売。
M.E.:第1弾の人気を受け、カシオ×ユナイテッドアローズのコラボモデルは第2弾も作られました。しかもこちらは白のスケルトンモデルというさらにレアな仕様。
吉原:あの頃は日を追うごとにG-SHOCK人気が加速度的な高まりを見せていた時期。そのまま販売したら大混乱を招くと思い、こちらはハガキ抽選という形にしました。するとすごい倍率で、第1弾より格段に入手困難なモデルになってしまいました。ウチのスタッフの中にも買えずに涙をのんだ人がたくさんいて、かくいう僕もその口(笑)。今日持ってきたものは、のちに知人を拝み倒して譲り受けたものです。ちなみにこのモデルをスケルトン仕様にしたのは僕のアイデアです。
M.E.:G-SHOCKのスケルトンは、それまでイルカ・クジラ会議記念の限定モデルしかなかったんじゃないですか。
吉原:そうです。聞くとカシオの技術者さんはスケルトンモデルを作るのを相当嫌がっていたようです。中の配線など見せたくないところを隠すのが大変だから。でもたとえ配線が見えたとしても、そこがかえってカッコいいんじゃないですかとゴリ押しして。

M.E.:今見ても「これぞジャパニーズクール!」という感じが伝わってきます。
吉原:結局G-SHOCKが’90年代に爆発的に売れた一番の理由もそこだと思うんです。もちろんそのタフネスがアメリカでミルスペック的に評価されたということや、その気になったら一ヶ月に1本買えてしまう価格の安さなどさまざまな要素が複合的に作用したと思いますが、樹脂ケースの独特の質感、そして日本のSFアニメを彷彿させるデザインが最高にクールだった。だからあそこまでファッション的に受けたんでしょう。あの時代のG-SHOCKのデザインはニューヨークのMoMAのパーマネントコレクションになってもおかしくないと本気で思っています。
M.E.:これからのG-SHOCKに望むことを最後にお聞かせ下さい。
吉原:機能面は凄まじく進化しているので、もはや言うことはありません(笑)。ただデザインに関してはいつまでもG-SHOCKらしさを失ってもらいたくない。たとえばフィアット500というクルマがありますよね。あれは昔のモデルを横に並べたらまったく違うのに、単体で見るとちゃんと“らしさ”を継承している。G-SHOCKもあんな感じでうまい具合に進化を続けてもらいたいですね。