内視鏡外科手術のパイオニアに聞いた、負担最小の最新「胃がん」手術法とは?

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大学病院をすっぱりと辞め
フリーランス生活に突入

1992年、32歳の時にドイツで内視鏡手術を学び大学病院に復帰した金平先生は、習得した技術でたくさんの患者を治そうと張り切っていた。しかし当時はまだ、治療法としての内視鏡に対する信用は低く、扱わせてもらえるのは簡単な疾患ばかり。このままでは留学がムダになる。悩んだ末に仕方なく、関連病院に患者を転院させ、そこで腕をふるったが、じきに教授の知るところとなり、内視鏡手術を禁じられてしまう。

「あの頃は本当につらかった。内視鏡なら、体に負担をかけずに治すことができるのに、腹を切られ、痛い思いをしている患者さんがいると思うと申し訳なくて」

罪悪感に耐え切れなくなった結果、大学病院を辞して、「フリーランス」の道を歩み始めるわけだが、ここで生きているのが、橋本左内の哲学だ。

金平先生は当時、大学に残るべきか、内視鏡手術を捨てるべきか、恐らく、人生最大の迷いを経験していただろう。大学病院でのしがらみから将来の安定性まで、複雑に入り組んだ事情に絡め取られそうになりながら選んだのが、面倒なことを全部すっぱりと切り捨てて、自分が信じる医療にシンプルに賭けてみる道だったというのが興味深い。

面倒なしがらみも、自由を縛る上司もいない代わりに、フリーランスには安定感も患者からの信用もない。その選択は、裂傷を火傷に変えてしまうのに通じるものがある。

大学病院を辞めた後は、自力でホームページを作り、ネット経由で手術予約を受け、出張手術を請け負う事業に乗り出した。

「依頼される手術は、当然難しい症例限定です。患者さんから指名された時以外は、執刀医が僕であることは伏せて、黒子として行いました。とにかく、患者さんの身体に対する負担も手術痕も小さい内視鏡手術を普及させたかったので、報酬も先方の『言い値』です。日に3件やって1万6700円という時もありました」

今や『平成のブラック・ジャック』とも『元祖ドクターX』ともいわれる名医が、研修医の宿直バイトの時給以下で手術をしていたとは。知らぬ間に恩恵を受けていた患者がうらやましい。

そんなドラマのような生活は3年間続いた。

執刀した病院は国内外60施設を超え、手掛けた症例は年間140超。「すご腕の外科医がいる」との評判が評判を呼び、やがて都心のブランド病院として名高い四谷メディカルキューブに「きずの小さな手術センター」のセンター長として招かれる。さらに、知る人ぞ知る大手医療機関、上尾中央医科グループから「内視鏡手術を行う理想の病院をつくってみないか」と声をかけられ、08年、病院づくりに着手。4年後の12年2月、52歳にしてついに、自らがめざす医療の理想を具現化させた「メディカルトピア草加病院」を誕生させた。

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メディカルトピア草加病院ができてから、もうじき丸7年が経過しようとしている。この間、金平先生の評判はますます高まり、すっかり名医本の常連になった。世界的な学会の座長も務める活躍ぶりだ。

また病院自体の評価も症例数も右肩上がりで、例えば婦人科系の内視鏡手術では、創立3年目の2015年で既に、「子宮筋腫」の腹腔鏡手術件数が全国7位、「卵巣のう腫」の腹腔鏡手術件数も全国5位と、並み居る大病院を抑えて大躍進を果たしている。

もちろん、医療の質を評価する時に何よりも重要なのは、本当に病気を治せるかどうかだ。手術件数の多さだけでは分からないし、傷痕が小さいとか、身体に対する負担が小さいというのも大切ではあるが、最重要事項ではない。

GISTに対する単孔式内視鏡手術について、金平先生は2017年、次のように述べている。

「医学界からは、治しきれなければ意味がないという批判もあったので、昨年、過去にこの手術をさせてもらった患者さん全員の予後調査を行いました。すると59人のうち、再発は2人だけ。それも切除法によるものではなく、別の原因での再発です。アメリカの有名な医学誌に論文が掲載され、認められました」

なんとしても普及させたいと熱望した内視鏡手術も腹腔鏡手術も今やすっかり定着し、金平先生の夢はかなったように見える。しかし、患者の負担が小さい手術を追求する熱量は相変わらずで、少しも低下してはいない。

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