矢部克已の「ニッポン、いい店(ショップ)いい工場(ファクトリー)#8」岩手 – 日本ホームスパン

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羊毛とゆかりの深い岩手の地に花開いた手紬と手織りの技。毛羽立ったウールを使う粗野な風合いのホームスパンを1980年代を境にして、より独創性の高い生地づくりに発展させた。いまでは、世界に冠たるブランドが、ここのホームスパンを愛用する。

日本ホームスパン
手織りによって、幅80cmのサンプルの生地をつくる。これは、コットン、ナイロン、アルパカの3種による複雑な表情だ。生地のサンプル製作は、年間実に700種類にも及ぶ。一人前の手織り技術を習得するには、3年程度を要するという。

今月のいい工場(ファクトリー)
岩手 – 日本ホームスパン

矢部克已さん

教えてくれる人
ファッションジャーナリスト
矢部克已さん

メンズファッション誌編集部を経て渡伊。本国の服飾文化を吸収して帰国。ピッティ・ウォモを欠かさずに取材。常に「ファッションの現場」が気になるいま、この連載に力を込める。

世界有数のブランドが渇望! 手紬を継承する類なき生地

年間700種類のサンプルをなんと手織りでつくる

作家、宮澤賢治が生まれ育った岩手県花巻。その花巻を抜けるJR釜石線は、童話『銀河鉄道の夜』の舞台にもなった。線路に並行して車を走らせると、「日本ホームスパン」の本社兼工場に到着した。ガシャンガシャンという、シャトルが往復する織機の音が玄関先にまで鳴り響く。事務所の壁に、”スコットランド生まれのホームスパンが岩手の東和の街に根付いて70年”と掲げられている。

【歴史】

専務取締役の菊池久範(ひさのり)氏の祖父が立ち上げた「河東(かとう)ホームスパン」が、「日本ホームスパン」の前身である。「河東ホームスパン」が設立された東和町は、陸送が便利な岩手軽便鉄道(現JR釜石線)が近いため、羊毛の集積工場があった。かつて、国が掲げた”綿羊100万頭計画”の名残りもあり、この地に紡毛の生地づくりが根付いた。第二次世界大戦中に軍事物資だった羊毛は、戦後払い下げとなり、伝統として残った手織りや手紬の技で、ホームスパンをつくり続けてきたのである。

3代目・専務の菊池さん(写真2点)

3代目となる、1983年生まれの菊池専務取締役。中学生の頃には、糸の染色なども手伝い、自分で生地づくりを覚えた。

3代目となる、1983年生まれの菊池専務取締役。中学生の頃には、糸の染色なども手伝い、自分で生地づくりを覚えた。

「日本ホームスパン」の本社兼工場は、岩手県花巻市にある。

「日本ホームスパン」の本社兼工場は、岩手県花巻市にある。

冴えた色で個性を放つチェック柄。150本の糸をひと柄の格子に織り込む。

冴えた色で個性を放つチェック柄。150本の糸をひと柄の格子に織り込む。

味わい深く、巧みな色の生地。1960〜80年代のアーカイブコレクションだ。

味わい深く、巧みな色の生地。1960〜80年代のアーカイブコレクションだ。

工場の隣には染色工房も備える。様々な染料を使い、サンプルの色糸をつくって実験する。

工場の隣には染色工房も備える。様々な染料を使い、サンプルの色糸をつくって実験する。

2024

VOL.341

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