【中井貴一の好貴心】vol.4《蓼科に思う、大人の休日の意味》

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ホリデーはあるけれど、ヴァケーションのない日本人、とよく言われます。
1日、2日の休日はとってもまとまったオフを楽しむことは、日本人はあまり得意ではないようです。しかし、充実したオフは人間性を取り戻し、新たな活力を得るために不可欠です。
もしあなたがまとまったオフを楽しむとしたら……?
ハワイ? 沖縄? それとも、どこかほかの豪華リゾートでしょうか?
ぜひ訪ねて欲しい場所があります。長野県の避暑地、蓼科です。
小学生時代、夏休みになるたびに過ごした思い出の地であるというだけでなく、今になって人間にとって必要なものがここに揃っていることが分かってきたからです。
今回は、そんな蓼科を巡る思いを綴ってみます。

中井貴一さん、蓼科の山の家
中井さんの父、俳優の佐田啓二さんが50年前に建てた蓼科の山の家にて。庭には、中井さんが幼少期に遊んだ雲梯が置かれているほか、すべてが当時のまま残っている。愛犬パイラン(2013年の撮影当時16歳、今は他界)とクルミ(2013年の撮影当時8歳)もここが大好きだった。本文中の愛犬のエピソードは、若き日のパイランのことである。

今、健康でいられるのは蓼科のきれいな空気と水のおかげ。
そう思っています。

小津安二郎監督が愛した蓼科にご縁をいただいて

1961年、高度経済成長期のまっただ中に生まれた私は、小学校に通う6年間、特に夏場になると、昼休みの殆どに、光化学スモッグ注意報をはじめ、なんらかの警報を聞いていた記憶がある。近所には多摩川が流れているのだが、水は濁り、川べりの段差のあたりは、石鹸を泡立てたのではないか……、と勘違いするほど白い泡で埋め尽くされていた。当然、親たちからは、多摩川への入水は禁じられ、夏の水遊びなどは夢のまた夢……、という感じであった。

それから、40年。我々日本人の環境への目覚めにより(まだ、未熟であると言われる方もいらっしゃるかもしれないが……)、川は川らしさを取り戻し、我が愛犬も若かりし頃は、幾度となく、この再生した多摩川での水遊びを楽しませてもらった。

人間は時に、当たり前のことへの感謝を忘れてしまう。何も制約がなく、表で遊べるきれいな空気、水道を回せば何も気にすることなく洗顔でき、口にすることが出来る安全な水、これらは何よりも感謝に値するもののはずである。資源がない国であると、よく言われるが、わが国は、人間が最もシンプルに生きる為に必要な物が世界一存在する国。そう自負していいだろう。

その美しく、美味しい水と、美味しい空気が存在する蓼科高原。ここには、父が建てた、築50年の山の家がある。この蓼科。元は、小津安二郎監督が愛した地だ。何本もの名作の脚本を、脚本家の野田高悟氏と共にここで書き上げた。我が家と、小津監督との関係はとても深く、父も母も、監督と俳優という関係を越え、親子のようであり、私にとっても、記憶はないものの(父の記憶ですら少ない私だが……)、いつも祖父の話を聞くように育ってきた。

元々、持ち家に興味のない小津先生は、家を借りて執筆をしていた。時には野田先生の「雲呼荘」という、なんとも粋なネーミングの山荘で脚本の制作をなさっていたようだ。その関係から父も蓼科を知り、小津先生に「お前も蓼科に山荘を作ったらどうだ」とそそのかされ、土地を買い、山の家を建築したらしい。幼い頃に両親を亡くした父にとって、小津先生は父であり、師であり、絶対的な存在であったようだ。

小津安二郎記念館
中井さんご一家と親交のあった小津安二郎監督が借りていた山荘は「無藝荘」と呼ばれた。現在はプール平に移築され、一般公開されている。多芸だった小津監督が、この逆説的な名前を山荘につけたのが、なんとも粋だ。撮影当日は、中井さんの亡き父、佐田啓二さんが出演した『秋刀魚の味』の映像が流れていた。そんな囲炉裏端にて、ほっと一息。【小津安二郎記念館】問蓼科観光協会☎0266-67-2222

2024

VOL.341

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