「日本トップリーグ連携機構」会長 川淵三郎さんが語る、自分の近くで働く人を味方につけるということ【加藤綾子/一流思考のヒント】

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第12回「日本トップリーグ連携機構」 会長 川淵三郎さん[後編]

>>>[前編]はこちら

加藤 綾子さん、川淵三郎さん

※最後に加藤綾子さんのスペシャルフォトギャラリー付き!

Profile
加藤綾子 Ayako Kato
1985年生まれ。2008年フジテレビ入社、看板アナウンサーとして活躍。'16年よりフリーアナウンサーとなり、さらに活躍の場を広げている。現在は『ホンマでっか!? TV』(CX)、『世界へ発信! SNS英語術』(NHK)、『MUSICFAIR』(CX)にレギュラー出演中。

川淵三郎 Saburo Kawabuchi
1936年生まれ。大阪府出身。早稲田大学、古河電工サッカー部でプレー。'70年に現役引退。サッカー日本代表監督などを経て、Jリーグ初代チェアマンに就任。現在は日本サッカー協会相談役、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー、日本トップリーグ連携機構会長など、多数の肩書を持つ。

堂々と振る舞うためには相手を納得させる情報が必要ですね
(加藤さん)

ボトムアップとトップダウンを操る

加藤先ほどまでのお話は対外的な対応についてのもの。一方で、自分の近くで働く人を味方につけるのも、大切なことですよね。

川淵うん。自分だけがわかっていてもダメ。身内が真剣に取り組んでくれるようにしないとね。

加藤それこそ、Jリーグを創設する際はどのようなプロセスを踏まれたんですか?アマチュアリズムが全盛の時代に、日本サッカーをプロ化することは相当なイノベーションだったはずですが。

川淵おっしゃるとおり。そもそもJリーグの構想は、1960年、僕が日本代表チームの一員として、訪れた西ドイツ(当時)の「デュイスブルク・スポーツ・シューレ」というスポーツ施設でのキャンプが契機。日本とは比べ物にならない、そのあまりに整ったスポーツ環境にカルチャーショックを受けたことから始まっているんだけど、そうした理想の環境を実現するまでの道のりは、日本人の誰にもわからないじゃない?だから、僕は「走りながら考えるJリーグ」と言ってその理想形を追い求めてきたわけ。神様でもいれば別だけど、完璧なものなんてこの世の中には存在しないし、完璧なマニュアルを作ってから動こうなんて呑気に構えていると、いつまで経っても進まない。だから、明確なビジョンをしっかり見据えたうえで、とりあえずスタートして、動いて走っている中で、段取りを見出していけばいいんじゃないかと。これは、どんなことにも当てはまるような気がする。

加藤そうかもしれませんね。ところで、周りの方の意見を聞いたりはするんですか?川淵さんは時に"独裁者"と評されることもあるようですが...。

川淵"独裁者"ね(笑)。僕としては、目立とうとか、関係者を無視するつもりなど一切ない。ただ、僕が出ていかないことにはなかなか記事にしてもらえないという考えは働くね。実際の話、日本サッカー協会にはアイデアマンがいっぱいいたから、僕はそういう彼らを積極的に活用したよ。具体的な指示を出せる人材がいなかったら、Jリーグは間違いなく実現してなかったでしょう。

加藤ボトムアップ方式を取り入れていらしたんですね。

川淵ただ、バスケ改革を主導したときは完全にトップダウン方式。

加藤何かお考えが?

川淵時間が限られていて、意見を聞いている余裕がなかったのもあるし、言ってみれば、今までろくな意見がなかったからあんなことになって、僕にお鉢が回ってきたわけでしょう。だから、短期間で改革を推し進めるために、まずはバスケットボールの現状をしっかりと把握した。そして、Jリーグの経験を生かしてトップダウン。「文句あるなら言ってみろ」って言ったけど、結局、なかった。55歳からサッカー界で成し遂げてきた僕の約25年分の実績の方が、遥かに勝っていたからね。時と場合によるけど、組織を動かすには、トップダウンとボトムアップを上手く組み合わせていくことが必要じゃないかな。

今日は何する?何着る?

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2019年Jun. VOL.302月号

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Jun. VOL.302

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